2014年8月27日水曜日

生後2ヶ月

早いもので、うちの坊やが2ヶ月を迎えました。

この2ヶ月、私は子育て以外ホントに何もしてない。
90%の体力と脳みそを子に注ぎ、残りの10%でその他の事をしてるわけなので
その他の事がいい加減で、はかどらないのなんの。。。

でも最初の半年ぐらいは睡眠もおっぱいも、とことん坊さまのペースに合わせて付き合おうと
思ってるので、自分の事などどうでもいいわ。

そのうち楽になるでしょうね。

リューゲン島に行ってる間、という事はかれこれ2週間前から彼は眼が見えるようになり
それだけで世界ががらりと変わったと思うので、寝ているだけじゃ退屈と言った様子。

外の景色が気になるのか、愚図りだしても庭につれて行くとおとなしくなったりする。

そして空や木や野菜や花を、不思議そうにずーっと眺めている。

一体全体どんな気分なんだろうかと思う。

視力という本当の意味での視野がいきなりドーンと広がって、先週ぐらいからは泣き声以外の
声を発するようになった。

ほんとに何もかもが新しい、ゼロからの出発。

お腹の中から始まり、人間のゼロからの成長を見届けるってホント神秘的なことだと思うし
それがまた自分の血を分けた子供なんだと思うと、未だに興奮するときがある。

「に、人間がいる」とか「これ、僕らの息子なんだよな。。。」

たまにマークスがぽつりと言うんだけど、私も未だに自分の目を疑うことがある。

「わたし、この子を生んだんだよなぁ。。。」

不思議なものです。

24時間、四六時中一緒にいるにも関わらず、こんな気持ちになるなんてね。

     

夕日に照らされるおっとさんと

この子が見たり感じたりする新しい世界を、一緒に見ていられる今がこの上なく幸せ。

多分人生の中で一番幸せな時なんじゃないかと思う。

この子を産み育てるために今の自分が存在しているとしたら、その自分を生んでくれた母親に
感謝せずにはいられない。

私を産んでくれてありがとうという言葉は、こういう時に贈るものだったんだ。
今なら心の底から言えると思う。

明日、母上に手紙を書こう。

あ、いけない。感極まってしまった。
        
とある日のお昼寝


3ヶ月目にはいると、赤子は微笑むらしい。

今でも十分に可愛すぎるのに、そうなったらもう危険危険(笑)

どうしましょう、この親バカっぷり。。。。


2014年8月24日日曜日

働かざる者、でも、食う


今年4年目の家庭菜園。

例年ならこの時期、収穫物や畑の様子の記事などが多いけど、今年は子育てで
手一杯で、特に坊やを産んでからは、畑仕事一切していません。

まあ、私がしなくてもマーとお義母さんが世話してくれてるので、野菜達の世話をするまでも
なく、私は収穫物だけにありつけるという、お気楽な身分です。

こちら、新しい庭の一部。
食べられないトウモロコシもグングン育ってる。



こちら、既存の庭。
放置菜園、よく言えばパーマカルチャー農園。とにかくごちゃ混ぜ。
数年前からのこぼれ種から育ってる野菜多し。



雑草も殆ど抜かず、ドイツ人ガーデナーに見せると呆れますが、雑草もある程度生えて
いたほうが、土の乾きを防ぐため水遣りをしなくても野菜が育つ。
甘さがある野菜に関しては、歴然とした差が。





今年我々の畑に突如として現れたこの植物。
誰も種を撒いた覚えがないことから、多分鳥を介して根付いてしまったんだと思う。

調べてみると、ケイトウの仲間でドイツ名をFuchs schwanz、キツネのシッポ。
そして、これは知る人ぞ知る、アマランサスだったのです。



モサモサした手触りと色形がかわいい

アマランサスって、ひえみたいなやつで、いまいち料理の仕方がわからない。
米に混ぜて炊くとか??
キヌアだったら、よく食べてるんだけど。

収穫して食すまでにものすごく手間がかかりそうなので、観賞用として放置しておくと思う。



これはトマトハウス。今年は4種類ほど。

ハウスで育ったトマトより、こぼれ種から自生して畑のあちこちにあるトマトのほうが
おいしくって、そればっか食べているという。

このハウス産トマトは、来週あたりにペーストにして保存しよう。マークスが。

果実もいっぱい。

ブラックベリーの棚




プルーンの木

コンポストに覆いかぶさる、桃の枝。






そしてこれは、花梨の木。
花梨は、花がめちゃめちゃきれいだったなー。

大豊作ですが、花梨ってそのまま食べられないから、これも加工して保存コースだな
マークスが。

ジャムぐらいしか思いつかないけど、それにしても大量なので、絞ってジュースにしてくれる
工場にもちこんで、花梨ジュースっていう手もあるかな。


オクラが今年初めて成功した。

夏の楽しみでもある畑仕事ができないのは、ちょっと残念なんだけど、来年は坊やと共に
遊びながらできるかと思うと、それはそれで楽しみです。


2014年8月16日土曜日

リューゲン島での夏休み

先週の日曜日。

マーが突然「明日からリューゲン島に行こう」と言い出し、その島に別荘を持つ知り合いに
すぐさま連絡をつけて、翌日7時間のロングドライビング。

もちろん、生後5週間のチビを連れてです。

こんな小さい赤ちゃんを連れて旅行に出かけるなんて、日本の全お母さんたちを敵に回し
そうですが、ドイツではこんなもんだと思います。
一般的ではないと思うけど、珍しくもない。

とはいっても、私も少しは躊躇しました。

だけど、行き先は自然保護区の中にあるプライベートビーチつきの別荘だったし
目の前に海、背後には森という、ゆっくり休むにはちょうど良いところだったので、日ごろの
疲れも癒す意味で、向かうことにしたのです。

道中は授乳をするために休み休み走り、チビはおっぱい飲んだらすぐ爆睡。
思いの他、楽に行けて良かった。
車の揺れはある意味、赤ちゃんにとって心地いいのかもしれないな。

リューゲン島とは、北東ドイツバルト海に浮かぶ島で、陸地からはフェリーで10分ほどで
到着。

船着場から内陸方面へ車を走らすこと30分。
国道から逸れて小道に入ってゆくと、森の入り口に門があり。

チャイムを鳴らすと自動的に門が開き、そこからさらに100mぐらい進むとお目見えした
したのがこちら。



これが別荘。

入り口にはドイツの文化遺産の印である「Denkmal(デンクマール)」のプレートが。

何が文化遺産なのかと聞くと、この別荘地にある建物全部が、Bauhaus(Wiki参照)
デザインによるもので、それが文化遺産なんだそう。

この土地は旧東ドイツ時代、一般の休養地として開放されていて、現在個人の別荘として
使用しているこの母屋は、その昔は食堂だったらしい。

その他にも、森の中にポツポツと佇むモダンな建築物の数々。

壁が崩壊してからその休養施設は閉鎖され、いまでこそ文化遺産のこの建物も海風に晒されて
ボロボロだったとか。

それを全部買って、リノベーションした人って一体。。。。

家の目の前は、プライベートビーチ


会議室とミニシアターを備えた集会場

広ーい母屋はリノベーション済み。四隅にジャグジー風呂つきのゲストルームがある


詳細は伏せときますが、とにかく知り合いなんです。

会社経営をしている、ただのミリオネアドイツ人女性です(笑)

この母屋の他に、バウハウス建築のヒュッテが3棟、それに会議等で使う集会所や
ゲストハウスなど。

彼女は夏の2ヶ月ぐらい仕事をしながらここに滞在し、その間友達や親戚を招いて、
休養地として利用してもらってるとのこと。
しかも、タダで!

私たちは家族で過ごす母屋のゲストルームを1部屋借りて、9日間過ごしました。

桁外れの大金持ちなので、初対面の私はどんな人たちなのかとちょっと緊張していたんだけど
実際は金持ちであることを鼻にもかけないし、着飾りもしないフツーの人たちだったので、
終始リラックスして過ごせました。

サウナがあったり

海を眺める露天風呂、5、6人は入れる

9日間、私にいたっては子の世話で精一杯で、普段家にいるのとあまり変わらなかった。

マークスは風のある日はカイトサーフィンに出かけて、私はその間は子守。
彼が子守をしている間は、私は他の人の分の食事の支度もしていたので、結局休めて
たんだか、ないんだか。

海辺で授乳
この休暇でやりたかったこと、本を読んだり、縫い物をしたり、そういう時間が連続で
1時間も持つことができなかった。

まー、普段と違う環境で息抜きにはなったけど。

家にいれば坊が泣いても多少は放置して、やりたいことができる。
だけど、この休養地で新生児のギャン泣きを響かせる訳にはいかないので、泣いたら
すぐに抱っこして、水辺に連れ出して・・・・・の繰り返し。

しかしここで新たな発見が。

抱っこ紐をして水の中を散歩すると、5分ぐらいで眠りに落ちてくれる。
私の心臓の音と水の音を同時に聞く坊や。

きっとお腹の中にいた時を思い出して、安心しているんだろうな。




リューゲン島で何が良かったって、海ではなくて森。

大きな樫の木がどこまでも生い茂る海沿いの森というのは、ほんとに美しかった。

森の散歩やサイクリングは日課にしてました。

海水浴というか森林浴しに行ったと思えば、今回の休暇はそれなりに有意義なものだったかな。






来年の夏もまた遊びに行きたいな。

今度はチビも大きくなってるので、街歩きをしたり、レストランで食事をしたりとか
今回とは違った楽しみ方ができるだろうな。


2014年8月2日土曜日

出産のキロク(後)

手術から2時間後に麻酔が徐々に切れだして、ゆっくりと意識がもどってくる。

冴えない頭で、この晩に何が起こったのかぼんやりと記憶をたどってみる。
そうだ、分娩室から手術室に行ったんだった、赤ちゃんを産むために。

で、私今ここにいるけど、赤ちゃんはどこだ??

緊急事態って一体なんだったんだ?何で私一人だけが病室にいるんだ?

マーはどこだ。そんなことより、赤ちゃんはどこだ?

軽くパニック状態になり、マーが病室に入ってきたときは、声にならないフニャフニャな声で
「ポコはどこ、ポコはどこ?(ポコは胎児の時のあだ名)」とうなされていたらしい。

マーがそばに来て、ポコは無事に生まれて今別の部屋で寝ているよと言うけど、そんなの
信じられるわけがなく、もしかしたら死んじゃってて、明日になったら本当の事を告げられるんじゃなかろうかとか、朦朧としながらも最悪な気分だったことを今でも覚えている。

生まれたての写真を見せてくれたけど、視点が合わないので確認することもできず
不安な気持ちを解消できないまま、そのまままた眠り落ちてしまった。

想定外の帝王切開で一番いやだった事が、まさにこれだ。

手術することが事前に分かっていて打ち合わせがしてあれば、心構えもできていたでしょう。
そして、パニックに陥ることも、悲しい気持ちになることもなかったと思う。
それが自分が辿る出産までの道のりだと分かっているんだから。

だけど私の場合、全身麻酔だった為生まれた瞬間も見てないし産声も聞いていない。
せめて部分麻酔でお願いしますと、あの状況で頼もうと思えばできたはず。
それが悔しくて仕方なかった。
そして正直言うと悲しい話、産んだ感覚というのがしばらくなかった。

例えていうなら旅の途中で路を絶たれ、どうやって来たかは覚えてないけど
気づいたら経由してきたと思われる場所のお土産を持って、目的地に着いていた。

そんな感じ。

次の日の朝、ベットの上に横たわる私のもとに、看護婦さんが我が子を連れてやってきた。
      

       

透明のケースに入れられて、水玉の服を着てやって来た我が子。

生きてこの世に生まれてきてくれたことをこの目で確認できて、何よりも安心して嬉しかったが
ドバっと溢れるような感動には至らなかった。

10ヶ月も自分のお腹の中にいて、ようやく会えたこの喜び。
もっともっと感動に包まれて、嬉しくて気絶するくらい泣くんじゃないかと思ってたけど、
涙が出なかった。

しかもお腹を切った痛みで、目の前の我が子を抱くことも、おっぱいをあげることもできず、
情けないったらなかった。


出産から翌日、緊急帝王切開に至った訳をはじめて聞かされた。

お腹を開けてみると、首のまわりにへその緒が2重に巻きついていたらしい。
出てこようとするたびに首がしまり、酸欠状態になって、心拍が低下するという状態が
何度かあったので、手術への判断が下されたと言っていた。

昔なら、これが原因で命を落とす赤ちゃんも多かったのだとか。

医療技術の進歩により救ってもらった命。

このときばかりは、この時代に生きることができて本当によかったと思った。

術後の経過はというと、出産から6時間後に看護婦さんがやってきてトイレに立たされる。

これがまた、気絶しかけるほど痛かったんだけど、自然分娩をしていた場合の痛みに
比べたらこんなの屁でもないわと気を持ち直し、その後も襲ってくる数々の痛みも
この気概で全部乗り切ることができた。

生後2日目から我が子は、昼も夜も私の病室で過ごし、この日から育児がもう
始まっており、術後3日目には、廊下を歩いてお茶を汲みに行けるまで回復していた。

息子を腕に抱けるようになってからは、ここにきてやっと私が産んだ子なんだという
意識がジワジワと芽生え始め、それから数日は嬉し涙が止まらない時間が幾度となく
あった。

息子よ、私たちの元に生まれてきてくれて、本当にありがとう!
今も毎日そんなことを思っている。

生後3週間で早くも湖につれて行かれる坊



それとお世話になった病院が、町外れにある総合病院だったんだけど、立地も緑多い所で
看護婦さんもみんな優しくて、ここで産めて本当に良かった。

4年前に盲腸で入院した時は、言葉の壁もあり嫌な思い出が多い入院生活だっただけに
今回の居心地の良さは意外っだったし、言葉ってやっぱ大切だなーと思った。

しかし、まったく想像通りだったのは相変わらずの病院の食事で、これがあるから
1日も早く家に帰りたかった。

ある日の朝ごはん↓

大げさな蓋つきのトレイに乗せられて運ばれてくるのが、これだけかーーーい。

パン1個って、、、こんなんで出てない母乳を出せと言われてもさ。



ある日の昼食。
レトルト風味満載。



まー期待もしてなかったので、おにぎりとか作って持ってきてもらったけど。

入院は5日間。

術後の回復次第では1週間ぐらいは入院するらしいけど、私は医者もびっくりするほど
回復が早かったので、5日で出てくることができた。

ちなみにドイツでは普通分娩なら3日が相場で、私の友達なんかは産んだその日か
次の日に帰宅する人もけっこういたりする。

家に帰ってからは、待ったなしの育児の日々。

あれよあれよで1ヶ月が経ち、この1ヶ月は乳牛かというくらい1日の大半が授乳と
その後の寝かしつけやらお世話で終わる日々。

しばらくはこんな日がまだまだ続くと思いますが、心地よい疲れです。
産後ハイで、あまり疲れを感じていないのかもしれないけど。

そんな感じの出産物語。

一息つけることが多くなったので、ダーーーーーーーーっと綴ってみました。

あ、それと、

息子誕生のお祝いメッセージをくれた方々。

一方的な報告の後、一人一人に返信できていませんが、この場を借りてお礼を言わせて
もらいます。

どうもありがとう!


2014年8月1日金曜日

出産のキロク(前)

出産から早1ヶ月。
あっという間に毎日が過ぎてゆきました。

気づけばもう8月かー。

赤子の世話にもだいぶ慣れてきて、ようやく自分の時間を持てつつあります。

何度も書きかけては中断に追いやられた記事ですが、ようやくまとまったのでUPします。


出産のキロク 

さて、

ひと月前のある日。。。

その日の朝は定期検診で午前中にいつもの診療所に行った。
予定日の3週間前。

診察はいつもどおり淡々と進み、どこも異常なしとのことだった。
帰りに受付のおばさんと雑談を交わす中「もういいわ、もう早く生まれてきてほしいなぁ」
なんて事を言い残し、良い週末を!と挨拶して診療所を後にする。

午後は、中途半端に終わっていた赤ちゃんコーナーの壁紙張りの作業を黙々と進めていた。
お腹の張りがけっこうきつくなる時もあり、休み休みの作業。

陣痛の痛みなのか定かではないが、この頃よく起きていた偽陣痛がちょっと大げさに
なった感じで、しかも間隔が狭まっている感じはしていた。

だけど耐えられないほどの痛みではなく、壁紙をどーしても終わらせたかった私は
痛みを我慢して張り続けた。

思えばこの時にもう陣痛は始まっていたんだろうな。

お腹を抱えてトイレにいくと、少量の出血を確認。

うーん、これはもしや「おしるし」というやつかと思いつつも、すぐに生まれるわけじゃ
あるまいしと思い、それでも壁紙を張り続ける。

その後も何度かしんどくなり、休んでは張っての繰り返しだったけど、しばらくすると
ドバっと出血し、これはまずいと思い、庭で仕事をしていたマークスに電話をかけて
へバメにも連絡を入れる。

もうこの頃には、歩くのもいやなほどの痛みがあった。

とりあえず病院に今すぐ行けとのことだったので、一応用意をしておいた入院セットを持って
病院へと出向く。

「もしかしたら、もしかするかもよ!」

そんな事を思いつつも、壁紙が中途半端なことのほうが気になって、病院に着いて
ストレステストしてる最中も壁紙のことで頭がいっぱいだった。

テストの結果は、もう陣痛は始まっていてお産の準備は進行しているとのことで。

まさかのまさか。

いずれこの日が来るとは分かっていたけど、3週間前とは早すぎやしないか?

まだ子の名前も決めてなかったし、やらなきゃいけないことも沢山あったし、なんといっても
壁紙が終わってないんですけど!

そんなんで、不思議とこれから控えてるお産よりも壁紙の事が気になっていた陣痛初期。
まだまだ余裕な証拠ですね。

内診をして、子宮口の開きを確認。
陣痛もまだ初期段階で弱いし、子宮口も開いてないので、もっと進むようにと
病院の廊下をとにかく歩きまわりなさいと指導される。

冷や汗がでるくらい結構な痛みだけど、我慢できないほどではない。
こんなんでへこたれていたら、お産で死ぬわと思いながら、グルグル歩き回る。

そして2回目の内診。

子宮口の開きはまだまだだけど、陣痛の間隔がもっと狭まってきたので、いよいよ
分娩室に入る。

へバメも到着し、担当の女医さんとマーに見守られながら、ジワジワと強くなってくる
陣痛に耐えること1時間ぐらい。
この頃には壁紙のことなんぞ毛頭にもなく(余裕がない証拠)ひたすら襲ってくる痛みに
耐えて耐えての時間。

痛み止めが欲しいかとへバメに聞かれるけど、1時間で痛み止めもらうなんて、これを
乗り切らなきゃお産の時死ぬわとまた思い留まり、断る。

今思えば、あのときの痛みってMAXのどれ位の割合だったんだろう?
あれでレベル1とか2とかだったら、きっとMAXの時には気絶していただろうという痛み。

だけどどんな痛みが来るのか楽しみでもあった。

妊娠中から出産のイメトレはしていて、痛みは想像できなかったけど、どんな感じでお産が
進み、どうやって赤ちゃんが誕生するのか何度も思い描いたし、2人でボロボロになって
誕生の瞬間を迎えるんだと、そればっかりを夢見ていた。

だから、途中で「緊急帝王切開します」と告げられた時は、残念で仕方なかった。

私が分娩台の上でヒーヒー言ってる中、もっと大変なことになっていたのはお腹の赤ちゃん。

分娩は赤ちゃんの心電図を取りながら進めるものだけど、その心電図がさっきから
異常値をたたき出しているんだということは、女医とへバメの会話からなんとなく伺えた。

そしてなんとなく緊迫している状況なんだということも察知していた。

しかし私の陣痛もけっこうなもので、破水して生温い羊水が流れる感がしっかりある中で
「これ以上はもう無理だわ!」
という女医の言葉を皮切りに、そこからはまるで舞台装置が入れ替わるかのごとく、一瞬にして
現場の雰囲気が変わってゆく。

まず、帝王切開手術の承諾書にサインをさせられる。
書類に目なんか通してないけど、そんな暇はない。

事は一刻を争っていることは分かるんだけど、お腹を切ることが残念でしかたなくて
そばにいるマーやへバメに「どーしても切らねばダメなの??」と、何度も問いただした。

自然分娩だろうが帝王切開だろうが、この世に愛しい自分の子供が生まれてくるのには
全く変わりはないのだけれど、私は赤ちゃんが頑張って出てきて、まだへその緒も付いてる
状態でしっかりとこの腕で抱きしめることを本当に楽しみにしていたので、その夢が
絶たれた悔しさで、涙が出た。

とは言っても、子の命が何よりも大切。
私の夢などエゴまみれの戯言だということも分かっている。

震える手で書類にサインをし、そこからはもうER(ていうドラマあったよね)の世界。

手術室へ運ばれるまで、何分かかったんだろうか?
時計は10時半を指していて、最初の陣痛から5時間が経過していた。

さっきまで自分のうなり声以外は静まり返っていた分娩室とはちがい、手術室はまさに
緊急事態発生の「現場」であり、緑色の手術着を着た人たちが4、5人、慌しく
セッティングをしている様子が伺えた。

最後子宮付近と思われる場所にブスッと注射を打たれ、その痛みに思わず悲鳴をあげ
吸引麻酔のマスクを付けらたところまでは覚えている。

そこからは何がどうなって、わが子がこの世に誕生したのかは残念ながら見ることは
できなかった。
マークスは手術室の外から産声を聞き、へその緒を切るところは見たらしいけど。

私はというと、気づいたら病室のベットの上だった。